武田の使いの者より知行100貫で召抱えると伝えられていざ甲斐へ向かう。
甲斐へ入って武田晴信の御前へと上がる前日、のちの高坂弾正となる源五郎の屋敷にて泊まることとなる。
そこには晴信からプレゼントとして翌日着て参上するための着物が届けられていた。
その心遣いに勘助は泣いて慶びを噛みしめる。
翌日晴信の御前に参上した勘助は並居る武田家家臣団の前で
『知行100貫では不足であろう。知行200貫で召抱える。』
と晴信から破格の待遇条件を晴信から宣言される。
これには家臣団からも異論を唱えるものが続出したが、
晴信はこれを一蹴してそのまま家臣として登用を決定する。
この間晴信と家臣団とのやりとりは武田家の意思決定方法が決して絶対君主制でもなければ家臣団主導の傀儡政権でもない様子が伺える。
ブレーンストーミングとも言える手法で家臣団にさまざまな意見を求め、それをよくよく吟味したうえで、最終決定は主君が決定する。
実はこのバランスが非常に繊細で難しいものであることは明白で、
家臣団の意見のなかから客観的に最良の方策をまとめることがかなわなければいたずらに時が経過し機を逸してしまうこととなる。
また主君が我を通して自身の意思のままに家臣団を無視すれば次第に家臣団は自由な発想の意見を進言することもままならなくなり多角的な考察に欠けてしまうこととなる。
このことは勝頼の代となりこの均衡が破れたことにより家臣団の不和を招き武田家が滅亡へと進んだとも見て取れるのではなかろうか?
今回の勘助登用に関する晴信と家臣団のやりとりは互いにそれぞれの立場をわきまえたうえでの合議であり、晴信の決定であったと言えよう。
その根底に流れる考え方・・・
人の心は武によって制することはできぬもの
人の心は情によって動かされるもの
この言葉に集約されるような気がするのだが・・・
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武田信虎が駿河へ赴き歌会でもてなされている間に武田晴信は家臣団とともに国境へ向かい信虎追放の準備を整える。
何も知らない信虎が駿河から甲斐へ戻ろうと国境へと差し掛かると兵に槍を向けられ行く手を阻まれる。
事態が飲み込めぬ信虎が
『なんとしたことじゃ』と叫び狂うなか
砦の上部に晴信、信繁をはじめとして名立たる家臣団全てが仁王立ちで立ち向かう。
甲斐の将来を憂いて父・信虎に謀反し駿河での隠居を強いる晴信とその意思を理解したうえで見事にまとまった家臣団・・・
その強烈な結束力を目前で見せつけられた信虎はとうとうこれに屈して駿河へと引き返して行く。
父と子の軋轢(あつれき)が生み出したこの悲劇。
大望のための決断、またそれが無血クーデーターであったとは言え実父を追いやるしか選択肢がなかった晴信の心中は如何なものがあったのであろうか。
ドラマでは甲斐への帰路、弟・信繁が晴信に話しかけようとした刹那
兄・晴信の涙を見て言葉を失ったシーンが如実に心中をあらわしているように思えた。
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武田晴信が父・信虎に謀反を決意したことを受けて、板垣信方は家臣団の懐柔へと先ずは甘利、飯富へと心の内を明かす。
戸惑いながらも甲斐武田の将来を見据える両名は板垣に説き伏せられ信虎の追放への準備を開始する。
そんな渦中で飯富が教来石を説得するシーン。
武力で甲斐統一を果たした信虎と能力が未知数の晴信を比較する教来石に対しての飯富は、
『武力で統一された甲斐は思慮深き者(晴信)に引き継がれてこそ国として発展する』
『家臣にしか出来ない選択によって甲斐を良くする』
と言って説得する。
後に戦国の世に稀代の武将と言われた武田信玄の活躍の裏には、決してひとりの能力だけという訳ではなく、有能な家臣団に支えられてこそ培われたものの存在が必須であろう。
人は時として急激な成長を遂げることがある。
演劇の世界でも公演する舞台が大きくなればなるほど、その舞台の大きさが役者のキャパシティーを越えた演技を可能にし、それが人々に感動を与えるという。
そうした舞台の大きさが役者を育てるということか?
父の駿河追放という決断により武田晴信という戦国武将も一国のあるじという大きな舞台に歩みを進めることとなる。
その大きな舞台でどんな演技を見せるのか・・・
今後も注目していきたい。
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新年の杯を交わす場面。
信虎は一番最初に次男・信繁に杯を授ける。
これは武田家の家督を長男・晴信ではなく次男・信繁に譲るという意思の表れ。
そして晴信には駿河で暮らすことの強要をほのめかす。
そこで晴信は父・信虎に対し謀反の企てを決心する。
水害に悩まされる甲斐ではその年も飢饉にみまわれるなか、度重なる信濃出兵で民の不満も募ってくる。
甲斐にとっての脅威である水害を信虎に重ねての排除への決意。
その川を見つめながら武田晴信の一言。
『上善 水の如し』
もともとこの言葉は老子の言葉であり、
『水というものはどんな器にも入れられる変幻自在な物質であり、常に高いところから低いところへと流れていくものである』
ということを意味する。
言い換えれば相手に合わせていかようにも対応できる柔軟性を持つものである。
また時としてその破壊力は堅固な大岩をも粉砕する力も秘めている。
自分にとっての大岩である父・信虎に対して変幻自在の柔軟性で立ち向かおうとする決意をこの一言に込めていると捉えるとその心情の奥深さを伺うことができる。
目前の壁を乗り越え、甲斐の未来を想う若き青年の言葉として非常に印象深いシーンであった。
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日本最古の日の丸:御旗(みはた)
楯無鎧とともに武田家の家宝として伝わるものに日本で最古の日の丸と言われる御旗(みはた)がある。
甲斐源氏を継承する者の証として代々武田家で受け継がれてきたものである。
現在は甲州市塩山にある雲峰寺に奉納され保管されており、宝物館として一般にも公開されている。
同じ雲峰寺の宝物館には風林火山の孫子の旗も保管されていることからも武田家の戦勝祈願の寺として武田家との繋がりが深いことが伺える。
その御旗を一度ご覧頂ければ一目瞭然であるが朱色の鮮やかさと周りの白地の部分のくすんだ状況はその経過した年代の長さと重さを感じ取ることができる。
ひっそりと静かな山間に建つ雲峰寺の雰囲気との相乗効果で悠久の年月を感じられる。
ぜひ押さえておきたい観光スポットのひとつである。
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