この言葉は慣用句としても有名な言葉である。
上杉謙信は幾度となく戦いを繰り返してきた宿敵・武田信玄に次のような書状を送ったと伝えられている。
『聞く北条氏、公を苦しむるに塩をもってすと、これきわめて卑劣なる行為なり、我の公と争うところは、弓矢にありて米塩に非ず、今より以後塩を我が国にとれ、多寡ただ命のままなり。』
甲斐・相模・駿河の三国同盟が破棄されてより、太平洋側からの塩の道を北条氏に断たれて甲斐国内では塩を確保するすべを絶たれて苦しんでいた。
上杉謙信はこの事態を聞き及ぶと『戦は戦場にて雌雄を決するもの』として甲斐の人々に日本海側から援助の手を差し伸べたのである。
幾度となく決戦に臨んだ両雄は、度重なる戦の中で互いに認め合う一面も有していたのであろう。
武田信玄は死を前にして息子・武田勝頼に『自分の亡き後は越後の上杉謙信を頼って手を組むように』と遺言を残している。
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