武田信玄の副収入のススメ
戦国時代最強の武田騎馬軍団・・・ その最強家臣団を支えたのが金山採掘による甲州金・・・ 現代によみがえる武田信玄の戦略・・・ まずはコツコツとお小遣い稼ぎから!!!
武田信玄の甥:穴山信君



武田信玄の甥:穴山信君

穴山信君の母は武田信玄の姉・南松院であり、更に妻は信玄の娘・見松院(見性院)という武田家とは深い姻戚関係を持ち信玄の甥にあたる。
本人にも武田家の血筋が色濃く(4分の3)流れており、他の武将と比較しても武田家一門衆として重きをなす。
後に入道して梅雪斎と称す。
主に鉄砲隊を率いて戦場に望み、川中島・三方ヶ原・長篠など戦いで本陣の守備部隊として従軍する。
武田信玄の没落後は後継者・勝頼の親類衆の筆頭として登用され、武田家臣団のなかでもその発言力・影響力は強いものがあった。
長篠の合戦で戦死した山県昌景の後任として江尻城主となると、東海地方における防衛に傾注する。
甲斐と江尻城の間に伝馬を設けて輸送・通信網を整備したり、城下町の造形にあたるなど、内政面での改革に着手している。
武田勝頼が甲斐・韮崎に新府城を築城したこともこの信君の進言によるものである。

しかしここで転機が訪れる。
次第に勢いを増す織田信長の武田殲滅作戦を目の当たりにして、武田家に見切りをつけてしまったのか? 徳川家康を通じ、織田方に降り寝返ってしまう。このとき旧領は安堵されている。
一説にはもともと武田勝頼と折り合いが悪かったともいわれるが、いずれにせよ一門衆の穴山信君の裏切りにより武田家滅亡はその勢いを加速していく。

家康とともに信長に謁見するために和泉国の堺に滞在していたところ、明智光秀による本能寺の変が勃発、信長も討たれてしまう。
これを知った信君は急ぎ伊賀越えで帰国しようとしたが、その途中で一揆に遭遇し土民に襲われ落命する。

後世に自家を存続させるためには主家への裏切りも常であった戦国時代・・・
その所業を責めることはできないが、悲しい結末である。

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