武田信玄の副収入のススメ
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小田原城主:北条氏康



小田原城主:北条氏康

戦国大名としての北条家の始まりは『戦国時代の先駆者』といわれる『北条早雲』から始まる。
早雲の子である北条氏綱の時代に関東に進出し、氏綱の子・北条氏康に受け継がれ、相模の雄として関東一帯を支配することとなる。
1545年の『河越の戦い』において山内上杉勢・今川勢などの連合軍・8万の軍勢を相手に10分の1のわずか8千の兵で対抗し、これを退けたことで北条家の武名を知らしめる。
どちらかというと武勇の面よりも政治家として非常に優秀な足跡を残している。
他に先駆け『検地』を実施して税収を集める手法を取り入れるなど、経済改革を実行している。
北条家の居城といえば越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄など名立たる武将が攻めあぐねた『難攻不落の小田原城』である。
現存する小田原城郭もかなり広大なものであるが、当時はそれよりも更に大規模で堅固な城郭であった。
小田原城の存在により幾多の強敵を退けてきた北条家は1571年に氏康が病により没した後、氏政・氏直と代をかえていく。
その頃になると日本をほぼ制圧した豊臣秀吉に対して和平派と主戦派とで意見が別れ、家臣団の会議でも結論がなかなか出てこない。
俗に時間ばかりが過ぎてなかなか結論がでない会議のことを『小田原評定』と呼ぶのはこのことに由来するという。
もはや、日本をほぼ手中にしている豊臣秀吉と北条家では歴然とした力の差があり、難攻不落の小田原城を以ってしても持ち堪えることはできなかった。
結局北条家は降伏して敗北、北条氏政は切腹、北条氏直は流刑となり相模の北条家は実質的に滅亡となる。
歴史上ではやはり北条氏康の統治していた頃が相模・北条家の絶頂の時代であったと言えるであろう。

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