武田信玄の副収入のススメ
戦国時代最強の武田騎馬軍団・・・ その最強家臣団を支えたのが金山採掘による甲州金・・・ 現代によみがえる武田信玄の戦略・・・ まずはコツコツとお小遣い稼ぎから!!!
越後の飛龍:上杉謙信



越後の飛龍:上杉謙信

上杉謙信は長尾為景の子として越後の春日山城に生まれた。
もともと乱暴な素行が目立っていたため、7歳の時に父・為景の指示により林泉寺の天室和尚に預けられた。
和尚は連れて来られた虎千代(謙信)を一目見るなり、その秀でた天性を認め、ただの出家僧として末遂げる人物ではないと将来を有望視した。
同年、父・為景は他界してしまうが、これを転機にそれまでの乱暴者は影を潜め、天室和尚の指導のもと学問、書道に没頭し、後に天下の英雄と呼ばれる謙信の基礎が築かれていく。

戦国武将として特筆すべきは、軍事面での天才的センスであり、戦闘の神様である毘沙門天の化身と恐れられた。
謙信自らも毘沙門天の生まれ変わりと称し『毘』を旗印としている。
謙信は幼少期を仏門で過ごしたため、信仰にも厚く義を重んじる性格の持ち主としても有名であり、生涯妻を娶らず実子孫を残していない。
私利私欲とは無縁の人物であり、愚直なまでにも大儀名分にこだわるその性格ゆえ、天下を治める者に成り得る能力に恵まれながらも関東管領にこだわり続け、上洛は果たせなかった面も伺える。
ただひとたび戦闘となれば、その強烈なカリスマ性により人心を掌握して軍勢を指揮し、戦国時代における希代の名将と言われる。
永遠のライバルである武田信玄とは川中島の戦いに代表される数々の場面で対峙し、お互いにしのぎを削る名勝負を展開する。
お互いに敵対していた武田信玄と上杉謙信であるが、お互いに好敵手としてその力量を認めていた。
信玄は後継者である武田勝頼に自分の死後は上杉謙信を頼るよう指示したとも言われる。

身内でも骨肉の争いが絶えなかった戦国時代において、常に正義感溢れる謙信の姿は、現在でも尚多くの人たちの心を捕らえて離さない魅力的な武将のひとりである。


FC2 Blog Ranking
にほんブログ村 歴史ブログへ ←←← どうかお願いでござる!!

信玄の教育指南役:板垣信方



信玄の教育指南役:板垣信方


武田信虎・信玄の二代に亘って仕えた武田家の重鎮的存在の宿将であり、駿河守を称す。
少年時代の信玄に対して教育指南役である傅役を務め、育ての親とも言える存在であり、戦国武将・武田信玄の基礎を創りあげる。
甘利虎泰とともに両職として武田軍の指揮を取り、信濃の制圧においては戦闘面ではもちろん、領国の政治面でも尽力する。
天文10年(1541年)に信玄が父である信虎を追放した際、信玄をバックアップした中心的人物で、信虎を今川家へと送り届ける役目を果たし、無血クーデターを実現・成功させる原動力となった。
原虎胤・甘利虎泰・横田高松などの武将と共に、若き信玄の創業初期においてはその豊富な経験に基づく進言は大いに役立ち、信玄を補佐していくこととなる。
浪人であった山本勘助を信玄に推薦したことでも知られる。
天文17年(1548年)2月、村上義清との上田原の合戦で、緒戦では勝利していたものの体勢を立て直した村上軍に急襲され戦死する。


FC2 Blog Rankingにほんブログ村 歴史ブログへ ←←← どうかお願いでござる!!

テーマ:日記 - ジャンル:アフィリエイト