
弓矢巧者の武将:横田高松
横田高松(よこた たかとし)は近江国甲賀郡横田郷出身で、佐々木源氏の一流であり元は六角氏の家臣であったとされ、備中守を称す。
武田家への仕官は武田信虎の時代とされる。
信虎が信玄より駿河国へ追放されて以降は信玄に忠実な家臣として登用され、主に信濃攻略に全力を傾ける。
高松は甲賀者を用いて情報を収集し状況分析能力に優れ、またその武勇は特に弓の名手として戦略、武功に大きく貢献した。
武田信虎、信玄より生涯で34枚の感状を貰うほどの武功は内外で広く知れ渡り、その手傷は31箇所にものぼったという。
武田家『職』である甘利虎泰の部隊の相備えを務め、足軽隊将としても冷静沈着に戦況を眺め的確に兵を動かし数々の修羅場で活躍した。
天文17年(1548年)、『上田原合戦』において、武田軍は村上義清の前に惨敗を喫し、それまで武田家のなかでも家臣団の柱的存在であった板垣信方・甘利虎泰の『両職』失う。
劣勢を挽回すべく信玄は信濃へ出陣、村上義清の本城・葛尾城攻略への第一歩として、その有力な支城であり北信濃への重要拠点である戸石城の攻略に取りかかる。
堅固な守備勢に固められた戸石城の攻略は困難を極め、武田軍が疲労し撤退を開始したところ村上勢により急襲されてしまう。
高松は混乱状態に陥った武田軍の殿軍を務め、武田軍の大部分が退却に成功するまで踏み止まり壮絶な戦死を以って武田家の窮地を救う。
信玄は高松の死を痛く嘆き、
『優れた武将を目指すのであれば、原美濃守(虎胤)や横田備中守(高松)を見習え』
と家臣に言って聞かせた。
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