武田信玄の副収入のススメ
戦国時代最強の武田騎馬軍団・・・ その最強家臣団を支えたのが金山採掘による甲州金・・・ 現代によみがえる武田信玄の戦略・・・ まずはコツコツとお小遣い稼ぎから!!!
文武両立 四名臣のひとり:馬場信春
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文武の両勇:馬場信春

山県昌景・高坂昌信・内藤昌豊とともに武田の四名臣の一角であり、武勇の名声はもちろんのこと、一国の太守になれる器量人と称されたほど文武両面において秀でてた武田家の重臣。
信虎の代から武田氏に仕えていたが、頭角を現すのは武田信玄の代からで、武田家の主だった合戦には全て参戦し、生涯戦歴40年の中でかすり傷一つ負わなかったと言われる。
各地の武田方の支城を建設した築城の名手でもあったが、そもそもその知識は山本勘助より吸収したといわれる。
信玄が今川氏真を駿河に攻めた折、信玄は今川氏が義元以来、収集していた多くの財宝が焼失するのを惜しみ宝物を運び出すよう命令していた。
これを知った信春はすぐさま現場に駆け付け、
『敵の宝物を奪取するなど、後世に貪欲な武将だと物笑いの種をまく』と一喝して運び出した宝物を全て火中に投げ入れた。
信玄も信春の先々までを見通した判断力には
『さすがに信春である』と深く感謝したと言う。
京都上洛途上の三方ヶ原の戦では山県昌景らと共に先陣を務め、徳川軍を浜松城まで追撃、巧みな戦術で抜群の軍功を立てた。
信玄亡き後、長篠の戦いでは敗走する味方の殿をつとめ、勝頼が安全圏まで撤退すると単騎、馬を翻し織田軍へ切り込んで討ち死にした。
その勇ましさは敵方の織田勢の武将も賞賛の賛辞を送っている。


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